「神子様」
神官の声もまた、ひそやかだ。
小さな子どもの頭に、神官は静かに冠を被せた。
金属製の輪と、ぽってりと厚い毛織物で作ったそれは、冠のような、冑のような、見慣れない形をしている。幼い子どもならば警戒するだろうに、神子は、黙って、体を動かそうとはしない。
年配の神官が、いま一人、神子の小さな手をやんわりと引く。
「ここに」
神官は、ひと一人がすっぽりと収まりそうな白い舟形の台に、神子を導き足台を示す。
重たげに冠を乗せた頭が、くらりと動く。取られていない方の手を伸ばして、神子は冠を支えながら、足台に登って舟形の台に腰を下ろし、3人目の神官が靴を脱がせるにまかせて両足を伸ばし横たわった。
舟のような台は、神子には大きい。
人の輪郭に沿うようにくぼみを設けてあるせいで、横たわった神子は、ちっぽけで幼さばかりが際だっている。
神子を横たえた神官たち3人は、さわさわとかすかな音をまとわせながら、台から離れていく。
舟形の台に横たわる、すっぽりと冠を被った子どもを残して、部屋からは人気が消えた。
薄く開いた唇から、すうすうと息がもれる。
よく手入れをされた歯並びが覗き、額に流れるオレンジがかった髪が、しっとりと張りついていく。
神官によって胸の上で組まされた小さな手が、きゅっとほの白く、血の気を引かせた。
「静かに、そのまま横たわっていれば、何も恐れることはない」
神子しかいない部屋に、声が響いた。
男の声は平板で低く、もう一度同じことを繰り返した。
その声が消えれば、その部屋で音と言えるのは、神子のかすかな息づかいだけになる。
それから、一拍をおいて、静寂はかき消えた。
「似てないな、あいかわらず」
すっかり、ふてくされたような言い方が板についてしまったものだ。
ユグドラシルが見下ろす場所から距離を置きながら、ユアンはそんなことを思った。
「遺伝的には、問題ないかと」
技術畑の男が、どこかしら卑屈な目つきで、ユグドラシルに説明をしている。
何度となく繰り返した手順をなぞるように。
ユグドラシルが真剣に耳を傾けているのかどうか、よくわからない。惰性なのかもしれない。繁栄世界の神子へのいつもの段取りなのだが、あれがユグドラシルの望む者ではないのはわかりきっている。真剣味の出ようはずもない。
実際、これが何度目のことなのか、ユアンにもとうに分からなくなっていた。書類の端を見れば、四桁の数字が刻字されている。
「それにしても、今度のも、おとなしいね」
ユグドラシルが言うのは、この音のことだ。分厚いガラスや防音の詰め物が入った壁を越えて、金属音がここまで響いている。向こう側で、機器を覗きながら動く研究員たちを視界に納めながら、ユアンは目を閉じた。
代替わりした神子の、これが最初の検査。
いつからか、気づけば、神子たちは静かに従順に、この上なく行儀よく、一連の検査を受けるようになっていた。幼児の域をようやく抜け出たような、この神子も同じだ。
胸の上に祈るように手を置き、何のためかも知らぬまま、じっと時間が過ぎるのを待つ子ども。
舟形の検査台は、ユアンには棺台のように見えてならない。
あるいは、解剖台か。
「二代続けて男性が神子となりましたが、今回の交配で我々の求めております配列の…」
技術者の説明が、騒音の中に紛れてしまわないものか、と思いながら、ユアンはそっと半歩身を引いた。
「ねえ、クラトスはどう思う?」
唐突なユグドラシルの問いに、返答はない。
天使長は、先ほど神子への指示を口にしたきりで、音声装置を前に身動き1つせずにいる。
無回答であることを許されるのは、天使長とユアンのみだ。
かつてはそうだった。
今はどうだろう?
いぶかしむユアンを置いて、ユグドラシルは言葉を重ねた。
「繁栄世界のデータばかりていねいに集まっちゃってるけど、どうもうまく行ってないよね? 最近、金髪が減って赤毛になってきてるし、若死にが多いしなんだか近親交配ぎりぎりな気がしない?」
ユグドラシルの姿は、青年そのものだ。その精悍なラインを描く口から、甘えたような子どもじみた物言いがこぼれ出る。その、気を許した振る舞いが、ずいぶん久しぶりだとユアンは思った。
「その心配は無用です、前世代の組み合わせで因子を取り除きましたので、次世代、もしくはその次でまた金髪に……」
技術者が、ぷつりと口を閉ざした。
そらしていた視線をユグドラシルに戻したユアンは、物憂げに声をあげ、そこへ割って入った。技術者を助けるつもりではなかったが、その長広舌が鬱陶しかったのは事実だ。
「クラトス。どう思う?」
やはり返答はない。
じっと見下ろすその目には、何が映っているのだろうか。
ユアンは、天使長に並び、検査室を見下ろした。
何千人目かの実験体が、そこで従順に横たわっている。
頭が割れそうな音を、防音材越しとはいえ聞かされながら、説明も求めず、恐れもしない、家畜のような存在に貶められたのに、それに気づいていない生き物たち。
だがあれも、ユアンの半身を構成するのだ。
それを忘れてはならない。
横目で、ユアンはかつての盟友を見下ろす。
天使長にとって、どれほど年月が過ぎ去ろうと、あの少年こそが同胞だった。
忘れてはいないだろう、お前は。
そう心でつぶやくユアンを見返りもせず、背を強ばらせて座り続ける天使長が、口を開いた。
鳴り続けていた駆動音が止まる。
天使長の声は、どこまでも平板に、監視室と、そして繁栄世界の贅を尽くし、そのうわべに覆われた検査室に響いた。
「これで終わりだ。テセアラの神子、ゼロス。主の導きがあらんことを」
「神子様。これであなたの神子としての最初のお勤めが終わりました」
ご立派でしたよ、と言う声は、かさかさと乾いていて、まだ何か詰まったような子どもの耳を滑り落ちた。
重い冠を外されて舟を下りた子どもは、無表情に、差し出された靴に爪先を入れ、手を取られるままに、足を踏み出した。
今日から、彼が神子である、と宣した声は、神官たちには聞こえなかったという。
隣の部屋にいたから、というと、とんでもない、と言いたげに彼らは首を振った。
神子だからこそ聞こえたのだ、それこそが、あの部屋であなた様が得た資格です、とうやうやしく言う神官は、いつもよりずっとじゃらじゃらした飾りをつけている。たぶん、彼も1つ位階を昇ったのだろう。
きらきらしい神官たちに囲まれ、一代に一度しか使わないという豪奢な儀式の間から去りながら、子どもはふと後ろに目をやった。
神官が天使のものだというあの声は、冠の中から聞こえた。
あれが本当に天使の声だとしたら。
天使とは、何とからっぽな存在なのだろう!
ため息を飲みこみ、神子ゼロスは、自らの新しい生活へ足を踏み出した。
※ゼロスとクラトス