龍麻はどうしてこんなに薄着をしたがるのだろうと思った。
病室の窓は全開、寝間着だけ。
大怪我をしたばかりだというのに。
生き返ったばかりだというのに。
眉間にしわを寄せる壬生をよそに、龍麻は首をひねっている。
「うーんと、何でも……」
そう言いかけて、ちらっと壬生を見る。
どうやら、そんな返事では悪いと思いあたったようだ。
「ええと、ええと」
そんな子どもみたいに、と壬生はため息をついた。
しばらくして龍麻は、良いことを思いついたと言わんばかりに顔をあげた。
「あれがいいな、モモ」
「桃?」
白桃かな、と壬生は思う。
探せばあるかも知れない、とデパートの果物屋を考えた。
そこで、気がつく。
「トリのモモ?」
「そう」
あれ、好きなんだ。
機嫌よく、龍麻は笑った。
「いいでしょう」
壬生はうなずいた。
壬生は、変なやつだ。
急に、病室に来て、しばらく黙ってこっちを見ていた。
それで、何が食べたいって聞く。
何がたべたいも何も、病院で出されるのはお粥だって。
だけど、壬生は真剣だから、こっちも一生懸命考えた。
なんだろ。
あれ食べたいとか、これ食べたいとか、そんなの思いつかなかった。
別に、普段から食い意地が張っている訳じゃないと思う。
何だっておいしい。
けれどあんなに真剣な顔をして尋ねる壬生に答えるわけだ。
何食べたっておいしいよ、君とだったら。
……それは女の子相手に言うことだろうな。
壬生は、こんなこと聞かされたら、白い目で俺を見るだろう。
いつだってうまく冗談が言えない俺が試すには、難易度が高すぎる。
壬生も冗談言わないけど、ああいう顔はギャグは似合わないだろうなあ。
俺は、ノリが重くてだめで、壬生は見た目がじゃましてる。
如月はいいな。
顔はいいし、頭もいいし、ギャグも言えるし。
如月だったらどうかな?
「君はこれを食べたまえ」って言って、お膳を出された時はびっくりしたな。
料理まで、うまいんだ。栄養もちゃんとしてるっぽい。
……如月といると、楽だ。
何も言わなくてもいい。
おいしいとか、ありがとうとか、そういうの全部。
言ったら、逆に怒られそう。
「そんな気を遣う暇が君にあるのか」って。
如月が怒るから、俺はしょげて、小さくなって、自分のしなくちゃならないこと、それだけをやっていればいいって気になれる。
やさしい。
如月は、ほんとにやさしい。
俺が黄龍で、よかった。
いけない。
壬生がこっちを見てた。
何がいいだろう。
何て言えば、いいんだろう?
「トリねえ」
「手は洗ったんですか、村雨さん」
「もちろん」
くん、と鼻をうごめかして、村雨は、ぴかぴかのオーブンの中、湯気を上げてまわるチキンを見つめた。
「そうだ、頼まれてたやつ」
村雨は赤い瓶を、まだ着ていたコートから引っぱり出した。
「そんな面倒なジャム、選ぶなよ」
「正式なのは、これを使うんだそうです」
「自分でうまいまずいを確かめられないような食い物になるぞ」
「いいんです」
壬生は、大きな皿をテーブルに置いた。
戸口に立ち、村雨はその真っ白な皿を見、それから台所を眺めた。
広いマンションだった。
緋勇の借りているマンションは、豪勢なシステムキッチンの上、最新の電化製品がそろっている。ぶら下がったペンダントは、間接照明のしゃれたデザインだし、ダイニングセットも輸入物だ。
広告に出てきそうな室内は、生活臭がない。
食器棚にはガラス器が並んでいたが、どう見ても使っていないだろう。
「初めて来たが、居抜きみたいな部屋だよな」
生活臭のない部屋。
たぶん、きっと、居抜きなのだろう。
そう思いながら、村雨は言う。
「食べていきますか?」
出て行きかけた村雨を、低い声が呼び止める。
肩越しに、村雨は呆れたように言った。
「冗談だろ?」
ばたんとドアが閉まる。
壬生は、大皿をテーブルの真ん中に据えた。
冗談、ではないつもりだった。
帰ったら、壬生がいた。
冬吾さんから、鍵を預かったんだと言って、玄関に立っていた。
冬吾さんは、仕事だろう。
どんな仕事なのかちらっと考えそうになって、俺は首を振った。
ちょうど、壬生が「悪かったかな」と言った時だったから、返事にもなった。
冬吾さんの仕事が、そういうものだと言うこと自体、俺はずっと知らなかった。
あの人は、俺にとって、保護者で、先生で、やさしい人だ。
冬吾さんが俺に手をあげたことはない。
だから、壬生の話を聞いて驚いた。
それからずっと冬吾さんと話をしていない。
いや、転校してから、かな。
会ってもいない。
ずっと前、小さい頃は、冬吾さんが父親じゃないのか、と思っていた。
病院で、大人が読む雑誌を読んだり、昼メロを観てたせいかもしれない。俺の想像の中で、冬吾さんには奥さんがいて、俺はお妾さんの子どもで、お妾さんが早くに死んで……とかそんなこと。奥さんに内緒だから、俺には父親だと言わないのかな、とか。
すぐに、そんなわけがないって知ったけど。
血液型で、冬吾さんは違うと知った。
その後くらいだろうか、実の両親の写真とか、いろいろなものを渡された。
確か、母方の祖母だか祖父だかが逝って、その遺品として、俺に届いたんだと思う。
本当なら、そちらで引き取られるはずが、母親が死んだ後の子どもだけ、は、どうしても引き取ってもらえなかったんだとか。
子どもの頃から入院生活が長く、ドラマのように想像するのは得意だった。
冬吾さんが、父親だったらよかったと、いっぺんだけ言った。
笑っていた。
でも、父さんとは呼ばせてくれないままだ。
チキンは、よく焼けていると思う。
壬生は、試しにナイフを入れてみた。
骨の周囲も火が通っている。並べた野菜も、いい香りをただよわせていた。
ソースはさえた赤。
本当は七面鳥用だというが、すっぱめに作ったソースは、肉に合うだろう。
龍麻は、じっと、切り分けるナイフの先を見つめている。
最初に感心したように小さく声を上げた龍麻と、それからぽつぽつ話を続けている。
それは、欠けらをつづり合わせるような、そんな言葉のやりとりだ。
友人づきあいというものを、壬生は、よくわからないのかも知れない。村雨を誘ったのも、間が持たないのではないかと危惧したからだ。
だが断られた。
他愛のない会話。
気の置けないつきあい。
少なくとも、退院する当日に家に押し掛けて料理をし、待っているというのは違う。
村雨が断ったのももっともだ。
これは、求愛行動だ。
くす、と壬生は笑った。
龍麻が顔をあげ、唇をたわめた。
赤いソースを、取り分けたチキンにかける龍麻の手が白い。
クリスマスだったんだ。
帰る道すがら、さんざんクリスマスソングを聴いたし、ツリーも見た。
そうして、家に帰ってきたら、チキンの丸焼きだった。
豪勢だなあ、と笑ったら、壬生は肩をすくめた。
何でもないよ、と言うように。
クリスマスにトリの丸焼きなんて、初めてだ。
壬生は、そう、とだけ言った。
「どうしてトリがよかったんだろ」
そう言ったのは、龍麻の方だった。
食欲は回復していないのか、あまり食べていない。
赤いソースは失敗だった。
味ではない。
白い肉に、赤いソースが流れる。
その見た目に壬生は眉をひそめた。
だが、龍麻は気にした様子もなく、一皿を食べた。それもそうだろう。龍麻が見たのは、赤い空と月だけだったというのだから。
肉を裂いて流れる血を見たのは、壬生の方だ。
「おいしくなかった?」
洗い物をしながら、壬生は聞いた。
「ちがうよ。うまかった。そうじゃなくて」
龍麻は疲れたように座っている。
流しの水音だけが響いた。
店には、しっぽに白い紙を巻いたやつが並んでいた。
みんなでモモ肉を持って、かじるんだろう。
父親がいて、母親がいて、兄弟もひょっとしたら。
クリスマスケーキを切って、ツリーを飾って。
俺は、クリスマスを冬吾さんと過ごしてきた。
病院で過ごす羽目になった時は、病室に来てくれて、退院したら家でごちそうを食べた。
特別のものはなくて、モモに紙を巻いたやつとか、イチゴのケーキだった。
普通だったんだと思う。
京一や桜井、美里の話と何も変わらない。
父子家庭だった醍醐のも、俺と似ていた。
普通にクリスマスを過ごして、普通に生活して……
刀で切られるとか。
母親が死んだことが俺のせいだとか。
保護者が人殺しだとか。
黄龍だとか。
あそこで洗い物をしてるのが、人殺しだとか。
それをやらせているのが、俺の保護者だとか。
いったいいつから何を間違えたんだろう?
俺が、間違えたんだろうか。
それとも、俺の両親が。
いつから。
そしていつまで。
とつぜん、壬生の前で、龍麻は泣き出した。
不安定なのだと如月や蓬莱寺に言われたが、まさか、と思っていた。
龍麻は、もっとしっかりとしているのではなかったか。
まっすぐ壬生を見つめ、仲間にならないかと、尋ねたのではなかったか。
柄にもなくうろたえている。
自分が、酷くうろたえていることを知って、壬生は落ち着きなく、タオルで手を拭った。水をくぐらせていないらしいタオルは、じっとりと湿り気を残した。
「……龍麻」
「な、なんでも、なんでもない」
泣き声をあげず、龍麻は涙を流している。