真神高校は、敷地の三分の一が、工事用のテントや足場、機材に埋められていた。そんな中での卒業式だったが、校門や校庭は記念撮影でにぎわっていた。
それも終わり、今日の真神には、終業式前の1~2年生のざわめきだけが残っている。
「これで、ここにも、もう来ることは無いんだね」
「ま、そうだな」
最後の一枚を念入りに貼り付け、村雨は、埃をはらうように両手を軽く打った。
言われたとおりの場所のはずだ。
少し、目を細めて周囲を見回す村雨の横で、龍麻は、どこか心を遊ばせているような、ふわふわとした仕草で、無造作に重ねられた古びた机の端を撫でている。
「せんせい、もうちょい、いいか。ここで待っててくれるか」
「うん、わかった」
御門め、人使いが荒いんだよ、とブツブツ言いながら、村雨が別の札一束を取り出し、廊下へ出て行く。
かなりの量だったので、それこそ旧校舎全室に貼らなければならないのかもしれない。もちろん手伝う、と申し出た龍麻に対し、村雨は最初から頑として承諾せず、さらに歩き回るのにもいい顔をしないので、後ろをついて歩くしかなかった。しかも、今度は置いて行かれてしまった。
「……気を使われてる」
前に、京一にも言われた。
お前が本気で腹を立てていたとしても、相手にはわからねえぞ、と。真剣な顔で、その顔がダメなんだ、とまで言われたのを思い出し、頬を引っぱってみる。どういう顔をすればいいのか、気持ちを表すのは早々に諦めることにした。
とはいえ、確かに、気遣われる道理で、しんどいのは事実だ。
正月に入院し、何とか退院させてもらったのが3月に入ってから。センター試験と二次試験は、外出許可の下だった。卒業式の賞状授与が、生徒代表で本当に助かった。無理はしない、というのが、物心ついた時から高校2年までの龍麻の信条だったが、また、それが始まるのだなあ、と思った。
フード付きのジャケットのジッパーを引き上げ、窓に寄る。1階の窓から見えるのは、雑草の生えたフェンスまでの空間と、その向こうの校庭、足場と基礎工事の鉄骨の組みあがる様子だ。少しだけ窓を開けた。まだひんやりとした風が吹き込み、それに髪をあおられながら、窓枠に片手をのせたまま、屈んだ。
床は、日差しのおかげか、思ったよりも温かかった。ふるぼけた、木目が溝のようにへこんだそれを踵でなぞりながら、曲がる方の膝を抱えた。
「あ」
白い、花びらが、床を滑る。
散りだした。真神の桜は、幾本かが、なぜか半月近く早く開花し、卒業式には美しく咲きそろい、そしてもう散り始めた。手を伸ばして、もう少しだけ窓を開けると、また何枚もの花びらが舞いこんだ。
柔らかく、顔をすべるように花びらが降る。
まるで、やさしく撫でられるように。
目を閉じて、その静かで間遠な訪れを楽しむように待つ。
窓からの風は冷たいけれど、太陽は温かかった。
「せんせい!?」
敷居から外れたのかと思うほど、ひどい音がした。扉にはまったガラスが鳴ったのだろう、もう一度ガタガタと揺れて、入口近くの机が、甲高く床を削るような音を上げた。
……驚いて振り向いたところが、悪かった。
パッと目の前に星が飛んだ。
どこをどうしたのかもわからないが、頭全部がぐらりと揺れて、追いかけるように痛みで一杯になった。
「おい、せんせい、どこだ!?」
ぼやんと、こもって聞こえたが、とにかく声をあげた。
「こ、ここ」
「いったい何して……」
荒々しい足音も、やはりどこかモワモワと遠くて、机が揺れたのか、それとも自分が揺れているのだろうかと思いながら、痛む頭に手をやった。
「触るな」
その手を、とらえられた。
握りこまれて、動かないように押さえられて、それからそっと静かに、髪の間に指がもぐる。
少し動かして、すぐに何かを見つけたように止まった指が、そっと髪一筋も動かさないと決めたようにそよぐ。
「いっ、」
「……そこにがっつけただろ、血が」
そのまま、黙って当てられた指先が、少し熱を持ち、そのまま肌ににじませるように熱が広がる。
「回復符が残っててラッキーだったんだぜ? なんでこうピンポイントに…」
あんた、案外おっちょこちょいだったんだな、と失礼なことを言われながら、反論のしようもなくて、黙っていた。
その顔をすくうように覗きこんで、村雨が言う。
「だいじょうぶか?」
「うん、ふさがったみたいだ」
かすかに、鉄錆びた馴染んだ匂いはしたが、また入ってきた風が、桜の香りと共に吹きはらってくれる。
旧校舎には、最後に少しだけ潜ったが、初めての怪我かもしれない。仲間たちがここで負った怪我よりも、格段に小さくて、たいしたことのない傷だ。全部終わってから、というのも確かに間抜けだけれど、でも何となく嬉しいような気もする。
「冗談じゃない、怪我しないに越したことねえだろうが」
こっちが、どれだけ焦ったと思ってるんだ……
そんな泣き言めいたセリフが、自分の首筋で、熱いような湿り気と一緒にまとわりつく。重みをかけないように触れたくせっ毛と、汗ばんだ額が、肩に乗ってきて、つかまれたままだった手が、砂埃まじりの床で平たく、やわらかく伸ばされた。
重なり合わせたその手も、重みを感じない。
そっと、柔らかな桜の花びらのように、夕べの指先のように、軽やかに触れるだけだ。
空いた腕を伸ばして、まだ重い、冬のジャケットを握った。
痛むかもと恐れることを忘れ、頭をすりつけた。
少し空いた、体と体の間に花びらが降ってくる、床で重なる手の上にも。
その花びらがほろりと落ちる。
持ち上げた手が、お互いの背に回った。
隙間を埋めて、ひとかたまりになった体の上を、桜花は静かに流れていく。
※ 「村雨と龍麻で、幸せそうに抱き合っているシーン」…ヘタレ同士ががんばりました。書いた人もがんばりました。
さまざまの 事思い出す 桜哉 芭蕉 ※