雨で、頭から爪先まで、全身がずぶ濡れだった。
体重をかけ替えたのか、足下からぐしゃりと音がする。
「いいかい、そこを動くな? すぐ戻る」
「うん」
返事はいつもどおりだったし、したたり落ちる前髪が顔をいつも以上に隠していたので、チャイムで起こされたばかりの如月の心配は、彼が風邪を引かないかどうか程度だった。
案の定小さなくしゃみをしたので、風呂に入ってこいと脱衣所に押しこんでから、ふと気づいた。
ふられた=雨にふられた。
意味は通る。
……確かに、ふられたんだ、と龍麻は言った。
あれだけずぶ濡れで、外は雨音と風で騒がしければ、誰でもわかることを。
……ふられた?
一瞬、目が回ったと感じ、如月は額に手を当てた。
今日は、休みをいいことに自堕落にも、ついさっき目をさました。
だから目が回ったんだ。
ふられた、龍麻が?
誰に?
何かを忘れているような、しつこい頭痛のようなものを感じながら、如月は眉をしかめた。
「お風呂、ありがとう」
引き戸の音がして、龍麻が戻ってきた。
如月は、いつの間にか座っていた卓袱台の前で、急須を手に、ちょっとうなずいた。
ふられた、そう、雨に。
だが休日の朝から、龍麻はどこへ……?
「なあ、ひょっとして怒ってるのか?」
「なぜ僕が」
「いや…… ちょっと早い時間かなーと」
珍しくも口ごもった龍麻が、一気に続けた。
「夕べ、っていうか、今朝っていうか、ああ言ってくれたけど、やっぱり寝てないだろうなって思って、駅を降りてしばらくして戻ろうかと思ったんだ、でも雨が降ってきて、それが凄い勢いで何だか戻れなくなっちゃって、迷惑かと思ったんだけど」
「龍麻。僕が、君を迷惑に思うことなどないな」
「…………そうなのか?」
真っ赤になったのは、風呂上がりのせいだけではない。
如月は、眉をさらにしかめた。
何か、ドアチャイムの音で目覚めてから、何かを忘れているような気がする。
「それはうれしいけど……でもやっぱり俺は、甘やかしてもらえるほど弱くないし一応自分の面倒は見れると思うんだけど」
「君は、十分頼りになる一方で、ある点では危なっかしいと思う」
「そ、そうかな」
「そうだよ」
如月は、ほっとため息をついた。
何かを忘れていることは確かだが、すぐ思い出すはずだ、大事な重要なことならば。
「なあ、やっぱり寝てないだろう? 寝たらいいよ、俺が留守番するし」
「……では頼もうかな」
そうした方がいいだろう。
如月は、立ち上がった。
すぐ奥のふすまをあけて振り向くと、赤い顔をした龍麻が、渡した湯飲みを手で囲い、それからぱたぱたと手を振る。
何の気負いもなく手を振り返して、寝室に戻り、開いたままだったドアノブに手をかけて。
如月は、激しくまばたいた。
放り出された枕、こんがらがった毛布と、閉まったままのカーテン。
どうやら忘れていったらしい、マフラー。
それを拾い上げて、もう一度まばたいて、如月は部屋を出た。
「龍麻」
「あれ、どうしたの……」
ぶら下げたマフラーを見て、龍麻がまた顔を赤らめる。
「わ、忘れちゃったのに気づいてさ」
「ああ」
「で、ちょっとしめた、って思ったりした」
「そう」
「すぐまた会える口実だな、って思って」
なんだよ、もう。
悔しそうに、俺ばっかりなのは悔しいと口に出した龍麻に、如月は、すっと頭痛が消えるのを感じた。
「龍麻」
「……なんだよ」
「寝直さないか? 部屋はあのままだが、よかったら、一緒に」
くそー、と悪態をつきながら、寝室まであとをついてくる龍麻に、如月は遠慮無く笑った。
恋人になった翌朝に。
うっかり、いろいろなことを忘れていたなど、とても言えたものではない。
※甘い?甘くなった?※