つきあいのよくない壬生にも、何度断ろうと、声がかかった。
まるで、何かにせかされているようだ。
心をかすめた言葉が妙に重い。
壬生の前を行く彼らの声の弾む様子とは裏腹に。
ひときわ声の通る年下の持ち出した話題は、皆の意見を集めて活発のようだ。
「あーもうあんたらの好みはイイですって! いっつもだんまりな龍麻サンすよ、誰が好みなんすか?」
「『誰』じゃ差し障りがあるだろ、ぼけ」
「京一センパイには聞いてないんですけどねー」
一斉にあがる声の向こうで、龍麻は言った。
「丈夫な子かな」
「…………なんだそりゃ」
一瞬静まった中、何かを切るように、蓬莱寺が笑った。
「じゃああれだな、ボンキュッボンのナイスバディなんだろ、きゃ、龍麻くんエッチ」
「いーや! スポーツ系とか、間口は広いっすよ」
「お。いいねえ」
皆がさざめいた。
龍麻の言葉は、いつも水面に石を投じたように聞こえる。
そう思いながら、壬生は前を行く、街灯の光を髪にのせたつむじを見つめていた。
「そうだっけ」
「そう言ってたよ」
ずっと昔の記憶をたぐり寄せるように、龍麻は宙を見ている。
壬生は、スプーンをゆっくりと動かしながら、カウンターキッチンの向こう側に目をやった。
甘い香り。
頬にあたる湯気。
時々、鍋をかくスプーンがざらりと鳴って、壬生はそのたびにかき混ぜる早さをゆるめる。
エアコンを入れて30分以上経ったのだが、まだ、龍麻の顔色は良くない。なのに、トレーナー1枚、素足のままで、ぶらぶらと下げた足をゆらしている。宙を見つめる目が、きょろりと動いて、壬生を。
ふいとスプーンの描く渦を見下ろして、壬生は口を開いた。
「君が何かに条件をつけるのを聞いたのは、あれが初めてだったから印象に残ってる」
「そう?」
「そう」
注ぐ牛乳が、きれいにマーブル模様を描く。くるくると回すスプーンに、マーブル模様は細く細く引き延ばされて、淡い赤茶色に落ち着いた。
「変かな、丈夫って」
「そうだね、好みの話なのに、丈夫はないんじゃない?」
「そっか」
足をゆらし、少し顔をしかめて、またゆらす。
洗いざらしたトレーナーは、襟ぐりが伸びきっていた。そこから覗くのは、鎖骨と、細い骨につかまるように貼られた分厚いガーゼの端。壬生は、また、かき混ぜるスプーンに視線を戻した。
ふつふつと泡立ちはじめたので火を止める。
注ぎ分けたココアを飲み、龍麻と一緒に、ぽつぽつと話をした。
話しながら、壁に貼られたそっけない、数字だけのカレンダーを見て、隣で光る時計を見た。
もう、遅い時間だ。
「そろそろ寝た方がいいね」
龍麻は、いつも以上に素直だった。こくんとうなずき、先に立って寝室にしている部屋に入って、電気をつける。
床に直接置かれたマットレス。端の方に重なってたたまれた毛布と、薄い掛け布団。
「寝相悪かったらごめん」
ぼそぼそと低くなった声に、吐息のような空気がまじっていて、ああ眠いんだな、と察せられた。
毛布をそれぞれが1枚ずつ取れるように広げると、横になった龍麻は、壁の方に顔を向け毛布を巻き付けくるりと丸くなった。
(ああ、本当は、いつもはこんな姿勢で寝ていたのか)
そう思った。
常夜灯の下で、龍麻の後ろ頭だけが毛布の縁から覗いている。
いつもはあんなに薄着で、何を言っても平気そうにしていたのに、眠る時はこんな風に丸まるのか。マットレスは十分な幅があったけれど、壬生が落ちないようにと気にしてか、龍麻はずいぶん壁に寄っている。
少し、震えているようだ。
この家にあるのは、麻か綿のシーツばかりで、体を滑り込ませると、ひんやりとした。
「寒いんじゃない?」
「そうでもないよ……」
こもった声の輪郭が、それでも少しはっきりとしていて、壬生は眉を寄せた。
「ちょっとじっとしてて」
半身を起こし、自分が被っていた毛布も龍麻に重ねた。掛け布団が羽毛特有のかさかさとした触感なのをありがたく思いながら、丸まった体に覆い被さる。
身体は、少しひんやりとしていた。
それ以上に、近づけた足が氷のようだった。
「君、冷え性?」
「まさか。全然冷たくないよ」
本気だろうかと、横になる前に顔を覗きこんだが、常夜灯の光量では表情がわからなかった。
「……くすぐったいよ、紅葉」
「我慢したら? 狭いし」
まさか、せまい、を、さむい、と聞いたのだろうか。
もぞもぞと動きだした龍麻が、こちらを向こうとしているのだと気づいて、壬生はやわらかく片腕をのせた。
そうしてつぶやいた。
「君があったかくて助かるよ」
「よかった」
もぞついていた身体がおとなしくなり、壬生は、ほっと息をついた。
身体はすぐに温もりを取り戻した。
足はそうもいかないだろう。壬生は、そっと、龍麻の足をはさむようにして、足を絡めた。冷たい足。ほんの少し前よりもずっと痩せた肩。
笑いながら、丈夫な子、と龍麻が言ったのは、わずかに数日前のことだ。
「……な子がいい」
「うん?」
吐息のような声が、回した腕の中でくるりと円を描く。
「俺よりも、長生きしてくれる子が、いいんだ」
薄く薄く伸びて混じり合う。
堪えきれずに、頬を柔らかな髪に寄せた。
ふわりと、消毒薬の匂いがした。
目を閉じ、壬生は氷のように冷えた足をぎゅっとはさんだ。
少しでも早く熱が移るように。
(置いていかないで)
※ほんとはラーメン出汁の香りがするんじゃ無かろうかとか言ってはいけない。きっと病院入り口で張り込んでる。